朝市で会おう

歴史・伝統・文化

 

越前大野城

貴重な野面積みを残すおおののシンボル

越前大野城の写真

金森長近が1576年頃から約4年をかけ、築城した安土桃山時代の平山城です。金森氏が1586年飛騨高山に転封後は城主が度々交替しました。江戸初期の1624年に松平氏(親藩:徳川家康の直系子孫にあたる家柄の大名)を藩主に大野藩が成立、1682年に元老中の土井利房が入城し、廃藩まで土井氏が城主を務めました。江戸時代、町の大火により城も幾度か類焼し、1775年には本丸も焼失しましたが、1795年に再建されました。廃藩後、城は取り壊されましたが、1968年、旧士族の寄付により推定し再建されたのが現在の城です。越前大野城の石垣は、自然石を用いた野面積みで積まれ大変堅固にできています。

天空の城・越前大野城のページヘ

 

良縁の樹

人と人との縁を結ぶ不思議な樹

良縁の樹の写真

大野市の春日通り商店街の一角にある「春日神社」には、樹齢100年を超えるケヤキとスギの樹が植えられています。2本の樹の根はひとつに結ばれ、その姿はまるで1本の木のように見えることから、「良縁の樹」と呼ばれています。
昔、縁に恵まれない息子を持つ親が、夢で「春日神社に生えているスギとケヤキの樹に触れてみよ」とのお告げを受け、その通りにしたところ、気立てのやさしい嫁を迎えることができたと言われています。
その逸話がもとになり、2本の樹は「良縁の樹」として、時代を超えて市民に愛され続けています。

縁のあかり・良縁の樹イルミネーションのページヘ

 

城下町

500年以上も昔の都市計画が活きる町

城下町の写真

金森長近は、大野城と同時に数年かけて城下町に力を注ぎました。現在、街中を流れている「芹川用水」を境に、西側を武家屋敷、東側を町人屋敷とし、碁盤目状の通りをつくりました。東西の通りを南から大鋸(おが)町、六間、七間、八間、石灯籠、正善町通りと言い、南北の通りを西側から本町、二番、三番、四番、五番、寺町通りとするとともに、湧水の恵みを利用して水路も整備しました。本町から五番通りには道路中央に、寺町は片側に寄せて用水路を設け、生活用水として水を流しました。各家の背中合わせの境には、排水路を通し、これは今も残っており「背割水路」と呼ばれています。

 

七間朝市

430年前から変わらぬ伝統とあたたかさ

七間朝市の写真

江戸時代において、本町、七間、五番の各通りには、美濃街道が通り、城下町の中心街として大店が軒を連ね発展してきました。中でも、七間通りには町の繁栄のために、市(いち)が設けられるようになりました。
現在の朝市は、春分の日から大晦日まで毎朝7時頃から11時頃まで開催される青空市場で、近郷の農家の人たちが新鮮な野菜や、山菜などを路上に並べて販売しています。
昔から、庶民の台所のようなもので、地元の人たちの憩いの場でもあり、買物ばかりでなく、朝市のおばちゃんたちとの方言による会話も楽しみの一つとなっています。

 

寺町通り

想いめぐらす静寂の道

寺町通りの写真

碁盤目状の城下町において、最も東端の寺町通りは、その名の通り多くの寺院が立ち並んでいます。現在、さまざまな宗派の寺院が約20箇寺この通りに集まっており、これらの寺院は、城下の北、東、南の三方を取り巻くように整然と配置されています。この配置形態から、寺町通りは、大野城下の防御的性格を有していたと考えられています。
現在も、この通りは、閑静で落ち着いた雰囲気がある通りとして親しまれています。

 

宝慶寺

740年の時を経た信仰の杜

宝慶寺の写真

宝慶寺は、日本曹洞第二道場と称され、今から約740年前、永平寺開祖道元(どうげん)禅師を慕って宋(中国)から来朝した寂円(じゃくえん)禅師によって開かれました。宝物には如浄禅師図像、道元禅師観月の像など、多数の文化財があります。寂円禅師の弟子で宝慶寺の2世義雲禅師が植えた樹高約28mで幹周りが約6mの義雲杉もあり、市指定天然記念物になっています。

 

里神楽

神人一体新たな力を授かる時

里神楽の写真

全国各地で広く行われている神楽は、11世紀頃から継承されている芸能ですが、大野市でも地域住民の結で今もなお受け継がれています。大野市では、主に里神楽と呼ばれ、春や秋の神社の祭礼に無病息災・五穀豊穣などを祈願して獅子舞を奉納しています。大野市の里神楽の起源は、篠座神社に奉納する里神楽で約800年を超える歴史があると言われています。演舞では、獅子と天狗が舞っているところに、春日大明神とその奥方が通りかかり酒を酌み交わす場面から始まり、その後、滑稽な仕草やかけあいなどで何度も会場を賑やかにします。市内に現存する里神楽はこの篠座神社の他に蕨生里神楽、稲郷里神楽、木本里神楽があります。

 

青葉の笛

歴史ドラマを今に伝える

青葉の笛の写真

現在「青葉の笛」として伝えられている笛は、平敦盛が所持していたと伝えられる笛が4本、源氏の武将が所持していたと伝えられる笛が2本、これ以外にも「青葉の笛」と呼ばれる笛が2本とされています。和泉地区に伝わる源義平ゆかりの笛は、直径2.5cm、長さ38cm、指孔5孔以下で折れていますが、その形状や桜の皮の巻き方、塗り方などから平安末期の笛の特徴を良く残しており、現存する「青葉の笛」では日本最古と言われています。平安時代の末期、平治の乱に敗れ、朝日の里(和泉地区朝日)に落ち延びた源義平が朝日助左衛門の娘おみつと恋に落ち、その後上洛を決意したとき、おみつに「青葉の笛」を託したと言われています。

 

化石

よみがえる悠久の歴史

化石の写真

大野市の南東部に位置する和泉地区に分布する手取層群からは、恐竜化石や植物化石、貝類化石が多数発見されています。特に、約4億年前の古生代の三葉虫や約2億年前の中生代のアンモナイトなど貴重な化石を産出する地層が和泉地区には広く分布しています。その他にも約1億年前の白亜紀の地層では、世界最古級のティラノサウルス科の歯の化石が発見されています。大野市は、人類が誕生する前の時代と今を結ぶ化石の宝庫となっています。化石発掘体験は、市内のイベント等で随時開催しています。