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    越前こぶし組

    名勝旧跡をめぐって人力車を走らせる

    越前こぶし組の写真

    北陸の小京都と呼ばれる越前おおの。昭和初期、この城下町には人力車が走っていた。そんな人力車を復活させたのが、「越前こぶし組」だ。「大野には400年以上の歴史を誇る七間通りがあり、寺町があり、御清水などの名勝旧跡がある。人力車でまわったら楽しいんじゃないかと仲間たちと結成しました」と組頭の朝日正幸さん(前列左から2番目)。メンバーは越前大野名水マラソンに参加している市民ランナーも多く、体力に自信のある仲間揃いだ。「大野人が地元の魅力を発見する事も多い」と朝日さん。1週間前からの予約がベストだ。

     

    巣守和義さん

    新たな自然遊びを模索するキャンプ場オーナー

    巣守和義さんの写真

    旧和泉村にある自然豊かなキャンプ場、和泉前坂家族旅行村。子どもの頃から自然に囲まれて育ったという代表の巣守和義さん。スキーも全国大会に代表で出場した腕前だ。大学卒業後スキー場のある大手企業に就職。県外で営業やホテル勤務などを経て、地元のスキー場に配属になるも売却が決定、自身が代表として事業を引き継ぐ事に。2008年からスキー場、その2年後にキャンプ場を受託。猪の骨を使ったアクセサリーづくりや化石発掘体験などここならではのアクティビティが魅力だ。「ツリーハウスも登場予定です」と構想はどんどん広がっている。

     

    平辻博美さん、孝男さん

    古き良き家庭の味を守る四代目・五代目

    平辻博美さん、孝男さんの写真

    創業が明治30年の大亀屋。名前の由来も亀は万年ということで、ゆっくりじっくり長く続けようという創業からの想いをのせて看板を掲げている。その名前の由来通り、初代が作った「大亀屋」を、二代目は骨董品を買い集め、財を大きくし、三代目は、現在の家屋を建てた。そして四代目である博美さん (左)が、大亀屋の半夏生サバを全国に広めていった。夏になると全国各地から注文が殺到し、予約をしないと手に入らないほどの人気ぶりになった。今は五代目である息子の孝男さん(右)が活躍しており、どんな大亀屋店主になるか楽しみだ。

     

    松本三重子さん

    どんぐりと自然を愛する立体造形作家

    松本三重子さんの写真

    松本さんは自他ともに認めるどんぐらー(どんぐり好き)だ。
    「カタチが愛おしいでしょ。郵便も“どんぐらー松本”で届くんですよ」と笑う。木々や木の実など自然の美しいデザインに感動し、自然をモチーフに作品を作りたくなり、立体造形作家としての活動をスタート。作品を美術展に出展し、どんぐりと越前和紙を使った作品が今立現代美術紙展で準大賞を受賞。その他、どんぐり染めの洋服の制作や、舞台美術なども手がけ、多分野で活動。月に一度、大野市図書館で「しぜんあそび」の講師を担当。「私の方が子ども達から刺激をもらってます」と語る。

     

    松田由美津さん

    無添加、無農薬でこだわりの原木しいたけをつくる

    松田由美津さんの写真

    原木しいたけは菌床栽培のものに比べ、香りがよく滋味深い味わい。すでに40年以上も原木しいたけの栽培に携わる、松田さん。木を切り出し、長さを揃え穴をあけ植菌する。風通しのいい山の斜面に並べ、数ヶ月したら菌のまわりを良くするため上下を逆に。しいたけが出てくる時期をみてハウスへ運ぶ。原木の数は16,000本!これらはすべて手作業。「体がきつく、そろそろ引退だーって言っても、ファンの人が”やめたらあかん“っていいよるのよ」と松田さん。手間がかかっても安全で美味しいものを、という松田さんの情熱が絶品しいたけを生んでいる。

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    金森長近

    才能あふれた大野市の都市計画の祖

    金森長近の肖像画

    金森長近は、1524年美濃に生まれ、五郎八可近(ごろうはちありちか)と言いました。18歳で織田家に仕え、1555年今川義元との合戦で手柄を立て信長の「長」の字をもらい長近と改めました。1575年に一向一揆鎮圧で大野郡(大野市)の一部を与えられた長近は、大野城と城下町を建設しました。1586年には、秀吉により飛騨を与えられ高山城(高山市)を、1600年関ヶ原の合戦では、東軍(徳川軍)に加わり、その功績から美濃国上有知(美濃市)を与えられ小倉山城を築き、85歳の生涯を終えました。長近公は、都市計画に秀で優しくまじめな人柄で、信長・秀吉・家康と時代の支配者に順応して戦国の世を駆け抜けた勝利者と言えます。

     

    土井利忠

    明倫の心を生んだアイデアマン

    土井利忠の写真

    土井利忠は、1811年江戸に生まれ、8歳で土井家7代を継ぎ、1829年に19歳で藩主として大野へ入りました。藩の財政は非常に苦しく、利忠の藩政改革は1842年の「更始の令」により始められ、藩財政の立て直しと人材登用を柱にして進められました。登用された人物の中には、全国に37店舗のチェーンとして販売を展開した「大野屋」や蝦夷地の開拓などで活躍した内山兄弟もいます。
    また、教育にも力を注ぎ、1844年に藩校「明倫館」を開設し、身分に関わらず誰でも入学が出来ました。その明倫の心は、現在の大野市の教育理念に受け継がれています。

     

    山内良休・隆佐

    大野屋を作った腕利きの実業家兄弟

    山内良休・隆佐達の写真

    1842年大野藩主土井利忠は、行き詰まった藩財政を立て直すため「更始の令」と呼ばれる改革令を出しました。内山良休・隆佐兄弟は、この時から始まった藩政改革に尽力し、殖産興業・人材育成など各種の事業で成果を上げました。良休は、藩営の商店「大野屋」を開設、自らが商人の真似をして直接運営を行ったほか、銅山の経営などにも携わり、大野藩の多額の借財を返済して藩財政の立て直しに貢献しました。隆佐は、勝海舟・佐久間象山・吉田松蔭など多くの人々と交流があったと言われており、蘭学の振興、軍備の刷新、洋式帆船「大野丸」の建造、蝦夷地開拓の推進などを行いました。